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人生朝露

人生朝露

天地開闢と洪荒之力。

荘子です。
ひさびさに荘子です。


今日は、中華圏で流行語になっている「洪荒之力(ホンホワンジーリー hóng huāng zhī lì) 」について。


「洪荒之力」という言葉は、リオデジャネイロオリンピックの100メートル背泳ぎの銅メダリスト、傅園慧(フ エンケイ・Fu Yuanhui)が、競技直後のインタビューの中で使ったものです。
この時の彼女の言動や、そこから垣間見える個性的なキャラクターは、中華圏のみにとどまらず、BBCも記事にするなど、周囲から好意的に受け入れられたようです。

参照:Fu Yuanhui's Greatest Moments (English subs)
https://www.youtube.com/watch?v=Jn0nPGfH1HI

参照:Fu Yuanhui: China's disarming and expressive Olympic swimming star BBC
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-china-37031983


「洪水」の「洪」に「荒野」の「荒」と書いて、「洪荒(コウコウ・hong huang)」。現代日本では、ほぼなじみのない言葉といっていいでしょう。


この単語の最も古い出典は、6世紀初頭、梁の武帝の命により周興嗣が書いたとされる『千字文(せんじもん)』の冒頭「天地玄黄、宇宙洪荒」だと思われます。『千字文』は日本では『論語』とともに和仁によってもたらされた、教育用の書物、いわば教科書の元祖です。日本人が最初に触れる文字記録の入り口に、すでにこの「洪荒」という単語はありました。

参照:Wikipedia 千字文
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%AD%97%E6%96%87

天地の始まり。  地の固まり。
『千字文』での用法を見ても分かりますが、「洪荒」は、神話の時代、天地開闢前後のこの世界(宇宙)の有様を表現する場合に使われていました。混沌としてぼんやりとした状態や人間が社会を形成する以前の時代を指したりする場合もあります。

『日本書紀』。
『古天地未剖、陰陽不分、渾沌如鶏子、溟滓而含牙。及其清陽者、薄靡而爲天、重濁者、淹滯而爲地、精妙之合搏易、重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後、神聖生其中焉。故曰、開闢之初、洲壞浮漂、譬猶游魚之浮水上也。于時、天地之中生一物。狀如葦牙。便化爲神。號國常立尊。次國狹槌尊。次豐斟渟尊。凡三神矣。乾道獨化。所以、成此純男。』(『日本書紀』巻第一 神代上)
→古の時、天と地は未だ分かれず、陰陽も分かれず、混沌として鶏の卵のようでありながら、ほのかに兆しが含まれていた。清陽なものはたなびいて天となり、重濁なものはとどまって地となった。精妙な集まりは群がりやすく、重濁な集まりは固まりにくいので、天がまず定まり、後に地が定まった。しかる後に神聖なるものがその中に生まれた。故に「開闢の始まりにおいて土地が浮かれ漂うさまは、たとえるなら、游魚が水の上を浮かんでいるようだ」と言われる。このとき天地の間に一つのものが生まれた。その様子は葦の芽が吹きだすようであり、すぐに神となられた。國常立尊(クニノトコタチノミコト)と言う。次に國狹槌尊(クニノサツチノミコト)。次に豐斟渟尊(トヨクムヌノミコト)。すべてで三柱の神、乾のみで生まれたので、純粋な男の神となられた。

・・・『日本書紀』や『古事記』において最初に描かれている時代のことを「洪荒」と呼ぶわけです。

参照:『荘子』と『淮南子』の宇宙。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5186/

『淮南子』と『日本書紀』 ~天地開闢~。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5187/


「洪荒の力」という言葉は、傅園慧(フ エンケイ)の造語ではなく、去年放送された『花千骨』というテレビドラマの中でヒロインが最後に使った妖魔の力の名前からなんだそうです。この『花千骨』は、神仙世界を舞台にしたファンタジー作品で、「洪荒之力」も道教の範疇の用語から派生したものであることが見て取れます。また、『封神演義』や『西遊記』などを「洪荒小説」と呼ぶことがありますが、これは、上記の作品には「洪荒の時代」が描かれているからでして、この文脈における「洪荒之力」とは、宇宙生成論に直結する「天地開闢の力」「太古の力」「原始の力」といった意味になります。

参照:《花千骨》主题曲MV 不可说-片花 霍建华丽颖动情对唱
https://www.youtube.com/watch?v=xRK5EBEXO-Q

参照:Monkey Magic
https://www.youtube.com/watch?v=iiqkwPJTJko
↑にある❝Primal chaos❞を「洪荒」、❝Nature of monkey❞を「洪荒之力」とするとしっくりくると思います。


実は『西遊記』をベースにした『ドラゴンボール』でも、「洪荒之力」というのは、何度も効果的に描かれています。老子や荘子の言葉としては直接はないものの、タオイズムにおいては大変象徴的な言葉でして、これを機会に、ということで。

------(引用はじめ)-------------------------------------------------------------
中国の傅園慧、愛される人柄 100背泳ぎ3位

 競泳女子100メートル背泳ぎでカナダ代表のカイリー・マッセと同タイムの3着。背泳ぎで中国勢初の銅メダルを獲得して、中国のインターネットで一躍、時の人になった。

 もっとも、傅園慧が愛されるのはメダルよりも、人柄によるところが大きい。8日、決勝直後にプールから上がったばかりの国営メディアとのインタビュー。

 傅「メダルは取れなかったけど……」
 記者「いえ、3位ですが……」
 傅「ええ? 知らなかった! 腕がもうちょっと長かったら、もっといい成績だったわね。これまでの努力が無にならなくてよかったけど、足がつっちゃったわよ」

 大きな口を開けて笑う傅と戸惑う記者の映像は「競泳界のコメディアン」と話題をさらい、「つまらない受け答えばかりという中国人選手のステレオタイプをよくぞ打ち破った」と彼女の中国版ツイッターには1日で400万人近いフォロワーが殺到した。

 子供の時、ぜんそくだった。水泳を始めたのは、娘の体力向上にと5歳の時に父親が勧めたことがきっかけで、いまも天津市の天津医科大学で運動リハビリを学んでいる。

 昨年の世界選手権の50メートル背泳ぎで優勝した背泳ぎのスペシャリストだが、50メートルの種目がない五輪は前回ロンドン大会から100メートルで出場する。
 ロンドンは8位だったが、リオでは準決勝、決勝と自己ベストを更新し続け、銅メダルを手にした。それでも「両親はメダルのことなんて気にしてないわ。私に幸せであってほしいと願っているだけ。そして私は実際、幸せよ」と話し、メダル至上主義へのアレルギーをやんわりとのぞかせる。

 20歳の女性らしく「もうちょっとおしとやかに」と言われることもある。それには涼しい顔でこう答える。「私には感情があるの。子供の時からこんな感じだし、自分らしくありたいと思っている。そうでなかったら、人が羨む成績を残したって意味ないわ」

 私は私。五輪であろうとなかろうと、普通が一番。そう言っているように見えた。【石原聖】
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参照:中国の傅園慧、愛される人柄 100背泳ぎ3位 毎日jp
http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160813/k00/00m/050/032000c

Zhuangzi
『吾所謂臧者、非所謂仁義之謂也、任其性命之情而已矣。吾所謂聰者、非謂其聞彼也、自聞而已矣。吾所謂明者、非謂其見彼也、自見而已矣。夫不自見而見彼、不自得而得彼者、是得人之得而不自得其得者也、適人之適而不自適其適者也。』(『荘子』駢拇 第八)
→私の言う「善」とは世間の言う仁義ではない。己が内にある自然の徳をあるがままにまかせることを善と言う。私の言う「聡」とは、外界の音がよく聞こえるということではなく、内なる声に耳を傾けることができることを言う。私が言う「明」とは、外界の色をよく見分けられることではなく、内なる私を見つめられること言う。自分の内にあるものを見つめずに、外にあるものに気を取られたり、自分の心に適うものを求めずに、他人の心に適うものを求めるのは「他人が納得することは自分も納得するものだ」と思い込んでいるのであり、それは「自分の心に適うもの」とは言えない。他人の楽しみを自分の楽しみとしているうちは、「自適」とは言わないものだ。


まどろっこしい理念や理屈はさておいて、傅園慧選手は、まぎれもなく現代中国を代表するタオイストである、と私は思います。

参照:The hidden meanings of yin and yang - John Bellaimey
https://www.youtube.com/watch?v=ezmR9Attpyc

今日はこの辺で。


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